学部4年
井口 雄介|IGUCHI Yusuke
機能を生んだ空間
建築とは空間を作ると言われているが、実際は、もともと何も無いところの一部を、 コンクリートや木材に置き換えることで「仕切られた空間」を作り出している。 つまり、もともとある空間を別のものに置き換えたことにより、機能を持った空間が残される。 と考えられるのではないだろうか? 今回私は、学内にある1号館階段の体積を算出し、それと同体積の金属による籠のようなキューブを作った。 その中を通れるようにすることで、階段としての機能を生んだ空間の体積を体感できるようにと考えた。
今城 奈保|IMAJOU Nao
TIME PILLAR
家は人の手でつくられ、人と共に時間を刻む。 ときにそれは思い出と呼ばれ、記憶と呼ばれる。 また、長年人が住んだ家にはその人の様々な痕跡が残っている。 それはそこに住む人々に影響されているということである。 しかし人もまた、自身の(もしくは同居人の)無意識のうちにつくりだした“イエ”という環境に影響されている。 その空間には、その家に関わった様々な人達の、様々な時間体験が要素として含まれる。 様々な人の人生という時間軸を包み込み、見つめてきた家もまた独自の時間軸を持ち、家のそれは人の時間よりも大きくゆったりと流れる。 それらはときに木と水のように、火と水のように、物質と水面に映る虚像のように様々に対比し合い、共存する。
太田 遼|OHTA Haruka
出張!ステレオタイプ都市
私は今まで「虚構」や「イメージ」といったキーワードで作品を作ってきた。 そして今回は都市空間におけるステレオタイプに注目した。 形ばかりが先行し、本質の抜け落ちたような観光地の記号的構築物や、 どこに行っても同じ風景のような郊外都市などのことである。 それは、実際に空間体験していても何かリアリティーを感じないという実体験からきている。 何が現実で何が虚構かが分からないという感覚がある。 そこで私は現実と虚構との境界を曖昧にすることで、何を信じるのかを考えるきっかけとしての作品を作ろうと考えた。 そのための入口として、ポストカードのような構図の東京の記号的構築物の風景の中に、おもちゃを合成した写真を10枚作り、その先ののぞき穴をのぞくと、わたしが任意に組み立てたステレオタイプな都市が実際の風景と共に見えるというインスタレーションを行った。 私の作ったステレオタイプ都市はどんな場所に出張しても合わさってしまう。 しかし、私はこの事実を否定的に捉えているのではない。そうではなく、例えば、そのようなステレオタイプな都市にもリアリティーを持てるのではないか。 といったような視点のずらしなのであって、あくまでも一人一人が何を信じるかを考えるためのささやかな“きっかけ”づくりなのである。
岡田 さり|OKADA Sari
夜景
都市を光でみる。 夜が更けていくにつれて増える赤の光 夜景は暮らしの明かりやイルミネーションのようなキラキラした光で溢れているけれど、その中に危険や注意を訴えて発している赤の光がある。 私たちの暮らしの中にも、楽しいことや嬉しいこと、幸せなことで溢れているけれど、忘れてはいけない大事なことがある。 世の中の不条理なことに、目を背けたくなることもあるけれど、真剣に向き合わなくてはいけない、逃げてはいけない赤の光がある。
後藤 正洋|GOTOU Masahiro
The COLOR of TOKYO
私は東京都大田区で生まれ育ち、大学在学を機に小平で生活をしてきました。 小平での生活に慣れていくにつれ、生まれ育った大田区とは違う一面を強く感じるようになりました。 3年生の時に、長時間露光のカメラとライトを使い、光のグラフィティーをその場その場で残しながら東京の街を実際に自分の足で歩くという作品を制作しました。 実際に歩き制作を進めていく中で、同じ土地でありながら生活する人々の姿、建物の数、雰囲気、、、 道を一つ曲がる度にその印象を変えていく街の表情は、まるで様々な色のようで、私を包むようでした。 歩き進むにつれ、景色が変わり、時間が流れ、劇的にその色を変え、私の心にも様々な変化をもたらす東京という街。 移り変わる街の景色、雰囲気、そして色。 街の色に包まれた時に感じる、ふとした思いや気持ちを体験してもらいたいと思い、制作しました。
玉木 真|TAMAKI Makoto
境界を越えた向こう
私は公共的な空間を考えるにあたり、ムサビのキャンパス内で、ある社会性を持った空間はないか探し、このドライエリアに行き着きました。 ドライエリアとは地下の採光のために設けられた空間ですが、その使われ方は曖昧で自由な状態です。 私はこの曖昧な現状に魅力を感じつつも、どこか近づきづらい感覚がありました。 それは3方向を大きなコンクリートの壁で覆われた空間に、どうやって自分が関われば良いのかが、わからなかったからだと思います。 そこで私はメタルラスという視線の通るメッシュを用いて円筒をつくり、それを吊り下げることで空間に抑揚を与え、思い思いの居場所を見つけ出せるような空間へと変えました。 円筒長さは3種類あって、見上げたり、筒のなかに入れるようになっています。 また地面からすれすれの円筒は柱のように存在しながらも、軽やかに空間を仕切っていて、円筒を見上げると、丸く切り取られた空が覗けます。 - 制作を終えて - 卒業制作は屋外でやるだろうと以前から思って、やってみたら、雪は降るし、風にはあおられ続けて、その結果壊れてしまう惨事だった。でもとてもいい経験だと思う。
千葉 圭子|CHIBA Keiko
竜巻
地面に沢山の木の葉が落ちていました。 ふっと風が吹いたとき、木の葉たちは渦を巻きながら舞い上がりました。 そこには木の葉の竜巻が存在します。 なぜならそこに風があるから。 私は今、確かに存在することを感じます。 なぜならそこに、私を舞い上げ、形づくる風を感じるから。 自分がここに確かに存在することを知る事。 それは他者からの影響を受けていることを知るという事。 自分という人間は、常に他者から影響を受け続け、変化していく。 結局本当の自分は他者によって形づくられている。 目に見えない影響を常に受け続ける事で、私はここにいると、安心することができる。
中村 陽介|NAKAMURA Yousuke
ROOM AIR
私は道具というテーマで作品を作りました。 私は現在一人暮らしをしているのですが、道具に囲まれながら暮らし、道具によって部屋が構成されています。 私にとって最も身近である自分の部屋を取り上げ、道具といは何なのか、何が道具で何が道具でないのかについて考えてきました。 その中で、ただそこに存在しているだけでは道具とは呼べず、自分のフィルターを一度通したものが私にとっての道具ではないか、という持論に辿り着きました。 私の部屋にあるものは、本棚やテレビ、机やイス、使い終わったティッシュやお菓子の空き袋など全てのものが道具であって、更にそれらが作り出した部屋という空間自体が道具であるという考えです。 自分の部屋を歩き回りながら写真を撮ることで、道具を切り取り、それらの写真数百枚を繋ぎ合わせる事で、部屋全体の道具を平面化しました。 そしてそれらの写真を立体化する事で、自分の部屋という空間の表現としました。
渡邊 宏子|WATANABE Hiroko
一文の変える風景 - 渋谷区コインパーキング緑化計画 -
「東京にまだ建築は必要か?これ以上、人が住む必要はあるのか?」 私の故郷である東京への問いかけはここから始まった。 今東京の土地は、ミニバブルによる地上げや不動産投資の対象となることで、 至るところがコインパーキング化している。 この状況を自身の体験を持ちながら目の当たりにし、どこか一点に新しく何か設計するよりも、 東京の風景や状況を少しでも動かしうる方法を思案した。 そこで建築が一時的に建っていない土地であるコインパーキングを「都市の時間的・空間的空白」と捉え、そこに緑化するための条例を設定することを提示し、 この条例が施行されることで変わりうる風景を、そして変えうる地球環境を映像プレゼンテーションした。
大学院1年
近藤 洋平|KONDO Yo-hei
Flow
この作品は、瓦礫をつめた氷の変化をまとめた映像作品。 溶ける氷 流れる水 落ちる瓦礫 崩れる氷 この一連の変化は、日常とはかけ離れている。 しかし、この変化は日常に潜んでいるのではないか。 さまざまなイメージを想起させることを意図した作品。