学部4年
荒川 祐輔|ARAKAWA Yusuke
土と時間によるフロッタージュ
-----H2200×W9600×D150(mm)
土-----
建築の一部を土壁で覆い、日常の凹凸を見えなくしてしまう。 しかし時間が経つことで土壁にひび割れや変色が生じ、 普段意識されていなかった凹凸が次第にその表面に浮かび上がってくる。 土と時間によって建築の凹凸を再認識する。
尾谷 由衣|OTANI Yui
積層空間
-----H3500×W2000×D10000(mm)
ダンボール-----
空間を感じるとはどういうことなのか。 その答えの一つとして、人が空間において身体的な感覚を働かせることで 自分と空間との関係性が生まれるのではないかと考えました。 内部空間としては洞窟のようになっています。 洞窟は人間や動物にとって最も原始的な空間です。 この空間を実際に歩くことによって光であったり、暗闇であったり、音の響きであったりを身体で感じてもらえたらいいなと思いました。 制作期間およそ1ヶ月。 その期間内に積み上げた4t車4台分のダンボールの積層空間です。
加藤 ユウ|Kato Yuu
clothespace
-----H3000×W5400×D4000(mm)
ゴム-----
現在、私たちの生活する環境の中の空間は、人間をmassとしてとらえ、 個人の行動やスケールの小さな差異はほとんど無視されて作られている。 私はそのような空間に疑問を抱き、常に「一人一人の人間を中心とした空間」を目指してきた。 そうする中で自然と「身体に近い空間」を創造したいと考えるようになった。 そして今回4年間の集大成として、私の理想とする空間を実寸スケールで提案し、 図面や模型上ではなく現実の世界の中で身体を通して様々な人に体験してもらい、 求める空間ができているのか自分の目で確かめようと考えた。 具体的には4m×5.4mの中に、幅4.5cm 高さ3mの平ゴムを大量に張って空間を創っている。 この空間で人は、それぞれのスケールとそれぞれの「歩く」「とどまる」「寄りかかる」「隠れる」などの 様々な意志と行為に従って空間を変形させていく。 つまりこの空間は、予測不可能に動き回る一人一人の人間を区別し、受け入れることができるのだ。 また、ゴムという伸縮性の高い素材を使うことによって、まるで衣服のようなより身体に近い空間を生み出すことができる。 この空間を体験した人が「自分」という個人を改めて実感し、 自分個人との関係性において空間を認識するものであるということを再認識してもらえれば本望である。
佐賀 亮平|SAGA Ryouhei
∞reflector
-----H3000×W5000×D6000(mm)
錯覚を誘発し、別世界に迷い込んだかのような感覚を与えるインスタレーション。 4枚の鏡により合わせ鏡を起こし、錯覚を誘発。 手前の鏡には、自分の背中が映り、鑑賞する人は、その映った自分の背中を追って歩きまわる。
鈴木 泰地|SUZUKI Taichi
気配
-----H4400×W8000×D50000(mm)
廃パレット-----
人と人 人と物 人と場どんな事にも領域がある。 私たちはどれほど他の領域を侵しているだろう。 私たちは日常生活の中で他の領域を認識できているだろうか。 認識とは意識する事であり、意識する事は考える事へとシフトしていく。 考える事によって単調でつまらないと思っていた事が面白い事になるだろう。 自分自身が散策し楽しみを見い出していく事が重要である。 私は大学校内の緑地に、その場のあらゆる物の領域をつなぎ合わせながら空間をつくりだした。 素材の廃パレットによって壁をつくりだし、 パレットの隙間から見える風景、壁に囲われた空間どれもが既存の風景ではなくなっている。 この空間を共有する事で今までとは違った意識で緑地を遊歩してほしい。
ソ ナヨン|SO Nayon
ボザギ
-----H2600×W3500×D8000(mm)
布-----
ボザギと言うのは、日本の風呂敷の意味です。 韓国は昔から残った布も大事にし、それを利用していろいろな生活用品や美術用品をつくりました。 私はその我が先祖の意識を大事にし、それを私なりに表現しようと思いました。 上から下までつながっている模様は天から地までつながる先祖と今の時代のつながりを表現しました。 上が広がったり、真ん中が広がったり、下が広がったりするのは、韓国が昔から持っていた流線型の特徴を利用しました。 華やかな色味は私が持っている韓国のイメージカラーを表現しました。
星野 優|HOSHINO Yu
宵の月〜内在する神話〜
水面にゆらゆらとゆれる月。 どうしてこの光はこんなにもやわらかいのだろう。 古来、我々日本人は何かに映ったり、跳ね返って屈折した光のやわらかさを知り、愛でてきた。 とりわけ月光には強い信仰心と愛情をもっていた。 日本各地に広く伝わり、私の故郷に風習を残す、月にまつわる死の起源神話。 大昔、月の神はアカリヤ仁座という青年に水を入れた二つの担桶を授けて、これを下界へ持ち下り、 人間にはスデ水(蘇生の水)を浴びせ、常世の命あらせ、心悪しき蛇にはスニ水(死の水)を浴びせよ、 とおっしゃった。 青年は水桶を担って下界へ下った。道の途中、担桶を下ろして休んでいると、一疋の蛇がやって来て 人間に浴びせるためのスデ水の桶に入ってジャブジャブと浴びてしまった。 青年は、仕方が無く、人間にはスニ水を浴びせて天上へ帰った。 こうして、スデ水を浴びた蛇は、脱皮をしては新生命をうけつぎ、 スニ水を浴びせられた人間は一度死ねば再び帰る能わず運命づけられてしまった。 普段何気なく過ごしていても、私達はなにか大きな力に左右されている。 目には見えなくとも、私の血の中に神話は宿っているのだ。
大学院1年
太田 遼|OHTA Haruka
出張!ステレオタイプ都市〜エンジョイ ココカラ〜in高知
-----H3600×W6300×D3000(mm)
プラモデル、木材、プロジェクター、ドアスコープ、etc..-----
高知市で行われた「Jeans Factory Art Award 2008」において制作された作品。 リサーチとして高知市を歩き、幾つものビルボードが目に付いた。 これらのビルボードは、紛れもなくここにあるものでありながら、 「何処でもいいこと、何処でもないこと」を示しているように思えた。 私の生まれた東京近郊と同じく、何処にでもあるような地方都市イメージをかもし出す高知市。 望まれて作られたのに、その場所性の無さを批判されてしまう立場無き街。 そこでのリアリティーは何処にあるのだろう。 市内から任意に選んだビルボードデザインを元に 私が作った「何処でもない」ボードの一部には、のぞき穴がある。 その穴をのぞくと、私が勝手に組み立てたプラモデルの街と実際の高知市内の風景とが重なって見える。 実際の風景は次々と変わるが、私の作ったステレオタイプ都市はどんな場所に出張しても合わさってしまうのだ。 現実と虚構の境界は曖昧なまま、「ココカラ始まること」を考えてもらうためのささやかなきっかけづくりであり、 「何処でもなくて何処でも良い」ことの存在感の模索でもある。
大学院2年
近藤 洋平|KONDO Yo-hei
cut
-----H2600×W30000×D2(mm)
ワイヤー-----
物質と場所をキーワードとして建築とアートの関係性を研究してきた。 それは、建築作品とアート作品の成立に、重要な要素だと考えたからだ。 建築とアートは物質と場所に依存しており、それらの強弱によって各作品に差異が生まれると考え分析を行った。 その研究の実践として作品を制作した。 武蔵野美術大学は芦原義信名誉教授のマスタープランのもと、現在の場所に設計・建設され1961年に開設された。 そのプランは、直交したグリッドを設定し、そのグリッドによって建築や人々の導線を計画している。 グリッドは、武蔵野美術大学を決定づける重要な存在である。 このように、グリッドによって構成された場所に対して、任意の軸線をつくり出した。 この軸線は、武蔵美術大学の8号館301教室から7号館に制作した。 この行為によって、鑑賞者にグリッドというルールによって成立している、武蔵野美術大学のキャンパスの関係性をよりリアルに意識してもらうこと、 そして、場所(武蔵野美術大学)に対して物質(軸線)が介在することで空間を変容させることを目的としている。